東京サミコ通信より

どもども、サミコですっ

えっと、とある炎天下
とあるサミコ地方ロケで立ち寄った
とある温泉宿の食堂ロビーで撮れた
とある1枚のスクショを以下。

え?!


あ、なんかサミません!
ザコシさんって東映ロゴマークのお方に
似てますよね、ってことで。笑

8・1

@ubajubin #勇気を受け継ぐ子供達へ #デジモンアドベンチャー #digimon #digimonadventure #digimonadventure02 #digimontamers #digimonfrontier #welovedigimon #WeLoveDiGiMonMUSiC #Youukiwouketsugukodomotachie ♬ 勇気を受け継ぐ子供達へ – Sammy

 

@ubajubin #デジモンテイマーズ #冒険者たちの戦い #トモダチの海 #Sammy #digimon #digimontamers #boukenshatachinotatakai #tomodachinoumi #sammy ♬ トモダチの海 – Sammy


 

残暑お見舞い申し上げます2023

どもども
残暑お見舞い申し上げます

早っ…!!

れれれ〜???

あ、いや、
とりあえず
「残暑」とかって
申し上げたら

多少は
涼しくなるかと
思いまして
苦笑

あ…w

たとえ
”コ中”から
解放されたしても

くれぐれも
油断なきやう

皆サミ
引き続き
ご自愛くだサミ

あちぃけどサミー

 

暑中お見舞い申し上げます2023

あちぃけどサミー2023

 

あちぃですね
あちぃですね
あちぃですね

3回言いました

ってか
これって
梅雨明け
してるんですかね


めいBEE〜
なんつってw

ではでは
今年のご挨拶写真は
30年前の写真で
涼しげに
いってみたいと思いまーす

暑中お見舞い申し上げます
2023年夏 
Sammy

ちっとは
涼しくなりましたかね


りるBEE〜
なんつってw

うばうば館
あ、これって、サミーさんが
初めてスキーに連れてってもらった時の
お写真ですよね?!すごく楽しそうっ♪


ええ、本人
満面の笑みなんですけどね

この写真の時も実は
肋骨が全壊してるんですよね

うばうば館
えー!???なんと!!!
ひき逃げ事故ん時の
3〜4年ぐらい前って
ことですよねー?

そうです
この時骨折れてるってことに
気づいてなかったんですよね

その後
温泉に寄ったときに
なんかすげぇ痛いってことになって

次の日病院に行って
判明したんです



Sammyさんって人生で二度も
同じところ(右肋骨)を
全壊してる人なんですね。


どーも
サミません

なんせ
南国育ちのワタクシにとって
生まれて初めての
銀世界だったもんで

そりゃもう嬉しすぎて
テンション高くなって

ふるっふーとばかりに
初心者ならではの
直滑降で

雪の塊に
激突いたしまして

でも、雪の塊だと思ってたら
中に材木の塊が隠れてたという
わけなんですけどね

んで、それ以来
ワタクシがいくら
「私をスキーに連れてって〜!」

申し上げても

誰も連れて行っては
くださらぬように
なったんですけどね


でしょうね

ま、ここんところ
(#TDLef23)
の流れで

ついでと言っちゃ
なんですけど

骨折ネタを
引っ張り出して
みたわけです

ま、なんにせよ
今年は「コ中」でなく
「暑中」でお見舞い
申し上げることができて
大変嬉しく思います

ではでは
そんな「コ中」解放記念として

もう1枚
コロナ直前にエジプトで撮った
涼しげな画像をどぞ

うばうば館
ほーんと、涼しげですね
とくに足元が、、、

それにしても
なんにしても

あちぃです
あちぃです
あちぃです

また3回言いました

ほんとは
33回言いたいぐらいです

サミーだけに
なんつって
というわけで

あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです
あちぃです

33回言ってみました

でもやっぱり
あちぃですね


うばじゅびんさん
ごくろーサミ

皆サミも何卒
干からびることのなきやう
くれぐれもご自愛くだサミ

あちぃので
勝手ながら夏休みに
入らせていただきます

あちぃけどサミー

#TDLef23_vol.4『山田ひろしさんのお話』


というわけで
エフコラのメジャーデビューに向けて
デビュー曲「Today」の作詞を
担当してくださることになった
「山田ひろし」さんとの
初対面の時のエピソードをひとつ。


あ、山田さんもフジパの専属作家(作詞家)さんで、
Sammyさんは山﨑さんと同様にフジパ専属作家の皆さんの楽曲の
仮歌を歌うことが多く、山田さんの歌詞
ともご縁が深かったんですね。

 


さて、例によって
乗る電車をヨミ間違えたワタクシは

(すごくややこしい話で恐縮なのですが、、、)
Sammyさんがフジパと契約を交わした当初、フジパは四谷にあったんですが、
その後に会社がそっくりそのまま青山に引っ越して、表参道と外苑前の間
(現在は外苑前側に引っ越してるみたいですが ←ややこしや〜w)に
なってしまい(その後エーベックスがそのビルに入ってさらにややこしくなったのですがwww)
Sammyさんはいつも渋谷乗り換えの時に銀座線にするか半蔵門線にするかで迷って
(外苑前の方が駅の規模が小さかったので出口で迷う確率が少なかった、、、が、
半蔵門線は外苑前には止まらなかった、、、が、銀座線よりも空いてて快適だった
、、、が、本数が少なかったetc.)さらには地上でも迷子になることが多かったそうです。

 

山田さんと
「フジパに14時集合」
なのにも関わらず

13時50分の時点で
青山1丁目のあたりを
走っておりました。

(さらにややこしい話で恐縮なのですが、、、)
そう、初めての相手とミーティングということで粗相があってはいけないと
緊張気味だったSammyさんは、いつもより早めに家を出て、
落ち着ける方の半蔵門線を選んだにも関わらず、表参道で降り損ねて
青山1丁目まで行ってしまい、ここは電車で引き返すよりも走った方が早いと判断、
外に出て、通りを歩くオシャレな人種の方々に「外苑前ってこっちでいいんですよね?」
って確かめながら(そう、逆方向に行かないように ← ココは正しかったwww)
フジパに向かったとのことです。

 


要は降りる駅を
間違えたわけですね。

もとい、

14時を1、2分過ぎた頃に
フジパのビルへ到着。
(許容範囲内w)

エレベータに乗って
フジパの階で降り
一応、トイレで汗を拭き
化粧直しをしてから
(大事大事www)

山田さんとの待ち合わせの場所である
フジパスタジオへ入ったのでありました。

山田:「あ、どもども〜!」

サミー:「こんにちは、はじめまして。」

山田:「あ、、、。はじめまして、ではないんだよね。」

サミー:「(げっ、、、?)、、、す、すみませんっ!!」

山田:「あ、でなくて笑。先日コピーバンドのイベントで、ね?」

サミー:「(ほんげぇ、、、?)」

山田:「あはは、分かんないよね。僕、黒子だったから。」

サミー:「あーーーっ!!逆にそれで分かりましたっ笑!!」

山田:「そうそう、Gueenのスパーク山田です。」

サミー:「わ〜、どもども〜!!座椅子JOPLINですっ!!」


そうなんです。山田さんは作家さんの肩書きを持ちつつ
実は「Gueen(グイーン)」というQueen(クイーン)の
トリビュートバンドの黒子稼業もなさっておられたわけです。

 

サミー:「そう、実は私、フレディマーキュリーが死んだ時に
ちょうどロンドンにおりまして〜!!」

山田:「マジすか〜〜〜っ?!!」

というわけで
トリビュート話からイギリス話に火がつきまして
軽く1時間が過ぎようとしてた頃、

山田:「いけないいけない、僕、あと30分ぐらいしか時間なくて。」

サミー:「あ、いけないいけない笑!!、、、で、何の話でしたっけ。」

山田:「僕、あなたのデビュー曲の作詞をすることになりまして。」

サミー:「あ、そうでした!!」

山田:「じゃ、イギリスから帰国した後は鹿児島には戻らずに、、、?」

ってな感じで
初っ端から見事に私の緊張を解きながら
うま〜い具合に私のそれまでと現状を探りつつ

なるべく私の「言葉」を使って
私の歌う曲の歌詞を書こうとしてくださっている
山田さんの姿勢に感動を覚えながら

無事に初対談を
終えることが出来たわけなんです。


その後、Sammyさんはデジモンワークで山田さんと再会した時、

「いやぁ、あん時(エフコラデビューの時)、僕なんかが歌詞書いちゃっていいのかな〜?って正直思ってたんだよね。作詞をするタイプのアーティストが歌う曲に歌詞をつける作業って実は結構プレッシャーで!!!しかもデビュー曲でしょ?あん時、実は内心アリマが怒ってたんじゃないかって、、、?www」

って言われたそうです。

 

、、、でしたでした!!

ってか、全然怒ってなんか
いませんでしたし

むしろ逆に
光栄に感じてましたし

ま、当時
右も左も分からなかった
未知の(J-POPの)世界に
足を突っ込むのに

すでに
業界で成功をなさっていながら
トリビュート業にも通じていて
人生を楽しんでおられる山田さんは
ものすごく心強い
存在だったわけで。

いまだに
エフコラデビュー曲の
「Today」は

まるで
自分で歌詞を書いたって
錯覚するほど
(ずーずーしい話ですけどwww)

今でも
自分の代表曲だと
自負してます。


その割にはエフコラライブで
歌詞を
よく忘れてたとか、、?

 

もといw。

そんなこんなで
フジパはアーティストの
プロダクション的な機能は
もってなかったので

ワタクシは
パイオニアLDCの傘下にあった
「パイオニアミュージックワークス」
という事務所に
所属が決まったわけなので
アリマした。

つづく

#TDLef23_vol.3『前髪ぱっつん』


えっと、早速ですが
まずはこの写真を
ご覧くだサミ。


これは
ef collage(エフ・コラージュ)の
初期のアー写ですね。

エフコラの15周年記念配信企画の時にも
配信ジャケ写としてお目見えしました。

 

そして
コチラのもう一枚。

左からSam Andrewさん、座椅子JOPLINさん、LISAさん、Tom Finchさん

 

わぉ、これは新しく活動を再開した
「ビッグブラザー&ホールディングカンパニー」様たちが
レコ発来日されている時に速攻でお声がけをして
Admで便乗セッションを企てた時のものですね。

ってゆーか
せっかくこんな贅沢な面々と一緒に
写真に撮られているというのに

座椅子JOPIN さん
てば
前髪が短い〜〜〜!!笑))



いやぁ、サミません!!
同じ時期に撮影されていたんですよ。

 


あ、そっか。
そ〜でしたよね。

「MARIA」の評判が
まあまあ良くて

本人の知らない間に
エフコラのデビューも
決まってて。

「座椅子JOPLIN」の
卒業宣言をした矢先に
ビッグブラザーさんたちの
来日を知り

大慌てて
タンスの奥にしまいかけてた
「座椅子の衣装」を
取り出したわけなんですけど

奇しくも
エフコラのアー写撮影も重なって、、、

 

前髪ぱっつん

なってしまったという、、、



ふふふ。
ビッグブラザーさんたちも
キョトンとしてましたよねw
ワタクシ、ご挨拶した時
子供と間違われて
頭撫でられましたもーんwww

でも、逆に
殺伐とした空気になることも全くなく

終始平和的な時間が流れて
めでたしめでたし、、、みたいな。

それにしても
ほんと人生って
レレレのレですよね。

 

 

 

だって私なんて
あーやってひき逃げされて
救急車の中でサバをよむまで

自分は27歳で死ぬって
ずっと思ってましたもん。

だって
ジャニスの格好して
声もパフォーマンスも
ジャニスに寄せるわけですよ。

ライブの前日には
飲めないお酒とタバコで
声をいい感じに仕上げて
さらにはほとんど寝ないで
ふらつきながら
ステージに立って、、、的な。

そしてステージ上では
まるで彼女が憑依しているかのように
パフォーマンスするわけです。

酔っ払ってるフリ、、、
ラリってるフリ、、、

ま、お客さんが
どの辺まで求めていたのかは
定かではありませんが

自分がジャニスっぽく
振る舞えば振る舞うほど
お客さんが喜んでくれるような
手応えみたいなものを
感じていたわけなんです。

MCでも
「私、もうすぐ死ぬので、、、」
なんてなブラックジョークを
平気で言ったりしてたんですね。

だから
バチが当たったんですね。

笑。

あ、いや、
笑いごとじゃなかったんですけど、、、


そう、そして「太田と上田」収録の時に
奇跡的に「笑いごと」になったんですよね。

 

 

まさに、恵比寿3丁目の奇跡、、、

 



あらためまして
当時の自分にごめんなサミ。

ま、でも、色々あったから
「今日」があるわけで。


なるほど。
それが「Today」に繋がるんですね。


つづく。

 

#TDLef23_vol.2『MARIA』

どもども
アロハロハ・ヒィヒィーン・サミィです。

❤️
《シノブとミツエ》


わーっっっ!!


あ、お盆近いですもんねぇ。


ふにゃーーーっ!!

 

もとい。

いきなり
ば、ば、馬足ならぬ、、、
、、く、熊足、、、

白熊 2023
進化バージョン@天文館


きゃ〜白熊さ〜ん❤️

、、、、足ならぬ
蛇足なのですが、


わーい、サミーさ〜ん!!
おかえりあざま〜す。


ただいまーっ!!
もとい。

なんせ
この時代の8cmシングルCDって
だいたい2曲セットで
展開されてたじゃないですか。

それぞれの
(もしくはメイン曲のみの)
カラオケも入れて
1枚のシングルに
合計3〜4曲という感じで。

アナログレコード(EP、LP)の先輩世代や
カセットテープの我々世代は

A面、B面とかって概念が
自然と刷り込まれていたせいか

この不思議な文化を
すんなり受け入れていたように
思うんですけど

昨今の若者世代から
「なぜシングルなのに2曲?」
「カップリングって何?」
などと
何気に聞かれた際に
上手く説明してあげられず。

なんせ昨今の
ジェンダーレスの概念とともに
「シングル」や「ペア」の定義も
変わってきてますからね。


ところで「東京サミコ」ってのは
二人組のユニットってご存知でした?


黒サミコ&赤サミコ❤️


し、、知りませんでした、、、まる


うふふっ♪「東京サミコ」は
東京のオリンピック招致が決定した際に
SammyさんがTokyoドメインを取得して
便乗デビューさせたという
SAMIKO TOKYO プロデュースの
おもてなしユニットなんですよ。


なーるほど!!
サミコちゃんの妹分的な
存在になるんですね。

うきゃっ

もとい。
そんなこんなで迎えた
1997年の1月中旬。

そう、ワタクシは
チャリで丸金ラーメンに向かう途中に
恵比寿3丁目の交差点で
ひき逃げされたわけなんですよね。


ご興味のある方は
旧・Sammyのドレミページの中で
2005年春頃に徒然ったコーナー記事

「No.4:救急車」をどぞ。


意識朦朧な中でも救急車の中で
ちゃっかりサバをよんでたという
Sammyさんのプロ根性に
重ね重ね敬意を払いまっする。


むふふ。


しかもその時の示談金を惜しみなく注ぎ込んで
2枚のオリジナルCDを制作、発表したのは
サミマニの間ではとても有名な話ですよね。
(*以下、通称、火曜日と水曜日の図。)

 

 


転んでもタダでは起きないという

Sammyさんのたくましさに
重ね重ね重ね敬意を払いまっする。


うぇーーーい!!

 


速攻もとい。

ま、火曜日と水曜日の宣伝は
また別の機会にってことにして

怪我の功名っていう意味で
ここで特筆したいのは

コルセットで
ぐるぐる巻きになったおかげサミで

「サマータイム」を
ジャニス仕様のファルセットで
アプローチ出来るようになった
ということでしょうね。


2014年のSammyのうばじゅ便記事、
 ファルセットの聖地「恵比寿3丁目の交差点」参照。



 


わ〜お >>座椅子どの
おひサミなのです〜!



あ、どもども!ってか >サミーどの、
コルセットにファルセットで対抗とは
さすが
上手いことをおっさる ♪


うっきぃ〜!!

 

ってなわけで
やっと本題。

そんなこんなで
基本リハビリ生活を送っていた
ある日のこと。

フジパ山﨑氏より
番組プレゼン用として
「ある曲」の
本歌(⇔仮歌)歌唱のご依頼が。

 

「フジパ」というのは、フジパシフィック音楽出版(=現・フジパシフィックミュージック)のことで、Sammyさんはそのフジパ主催の「一曲千金」というオーディション企画において「最優秀賞」を受賞、フジパと「ライター&歌唱契約」ってのを交わしていたんです。「山﨑氏」というのは、フジパ専属作家の山﨑利明(現・山﨑耀)氏のことで、当時Sammyさんとタッグを組んで仕事をする機会が多く、これが、後のエフコラ(ef collage)結成へと繋がっていくわけなんですよね。

 

しかも
仮歌の時と同様に、


明るく元気よく
パワフルな感じで
よろしく〜!!

という
注文付きで。

‼️

そう、
その「ある曲」というのが

他でもない
「I Can See Your Smile!!」
なんですけど

おさらい視聴🎵


「I Can See Your Smile!!」

 

そう、この曲は
事故の1ヶ月ほど前に
山﨑さん曲先で
ワタクシが歌詞を書いて
すでに仮歌も
入れていたんですよね。


「歌詞」のエピソードに関してはまた追々。

まあ
あくまでも仮歌なので
若干雑だった歌の箇所にも
目をつぶっていただいては
いたんですよ。

でも、流石に
番組へのプレゼン用
とあらば

本歌をちゃんと
録り直しましょうってなわけで。

しかもその時
ファルセットなどではなく
王道の「地声」を
求められていたというわけで。

‼️



人生〜って〜えぇぇ〜皮肉なものですね〜♪
(ひばりさんの愛燦燦にのせてどうぞ。)

 

 

 

もとい。

その時ワタクシは
思ったんです。

こんなタイミングで
再び肋骨に響く「歌」を
求められたのには

なにか深い意味があるに
違いないと。

そう、神様に試されてる的な…

ま、なんにせよ、
プロとしては
クライアント様の
オーダーにお応えするのが
スジかと。

なので、その時は
事故のことも肋骨のことも
一切フジパ側には伝えずに

何とか乗り切ろうと
したわけですよ。

それこそ
最初の歌入れの候補日まで
1週間足らずでしたが

それからの毎日、
「大丈夫、全然痛くないも〜ん」って
自己暗示をかけながら

ひき逃げなんてされてない!
肋骨なんて折ってないっ!てな感じで
通院も辞め

何とかなる、いや、何とかするっ!!
って勢いで
自主イメトレに
日々励んだわけなのです。


Sammyさんのこの不屈の精神は
Sammyさんの母上さま(通称:サミママさま)から
受け継がれた(=与えられた)ものだと思われます。

というのも、事故の次の日の朝一番に東京に飛んできて
Sammyさんの病院に駆けつけたサミママさまは、
「明日のライブ、出られないの残念だなぁ」と
ぐったりぼやいていたSammyさんの情けない姿を見て
いきなりパジャマ姿のSammyさんを病院から連れ出し
タクシーで高尾山へと向かったんですよね。

そう、何と、右肋骨全壊状態のSammyさんに
気圧療法とばかり登山させたわけなのです。

Sammyさんから「鬼〜!!」と罵倒されながらも
終始微笑みつつ「何とかなるから」って言いながら
無理やり登下山、その後病院には戻らずに
次の日ライブに送り出したというわけなんです。

 


そして騙し騙し迎えた
レコーディングの前日。

山﨑さんより
ご連絡が。

や:「ごめーん、明日のレコーディング無くなった。」

さ:「え???、、、延期ですか?
それとも不採用ってことデスカ???」

や:「じゃなくて、逆逆!!アレが採用になった!!」


ほんげ、、、??

 

つ、つまり、
突然プレゼンの機会が
早まったらしく


業界あるあるw

まだ仮歌の状態ですが、、、と言って
曲を聞いてもらったところ

先方さまが
ワタクシの(あの雑な感じの)仮歌を
えらい気に入ってくださって

本歌を入れ直すって話をしたら
その必要はないと言われたらしいのです。

というわけで

や:「じゃ、また動き出たら連絡するねーっ!!」

って
電話が切れたわけなのです。

 

 

いやはや、今だから
言いますけど

あの時は
正直ほっとしました。

なんせ騙し騙しの状態で
挑もうとしてましたからね。

ま、そんなこんなで
「I Can See Your Smile!!」が
NHKサンデースポーツの
エンディングテーマとして
TVで流れ始めた頃に

山﨑さんから
事後報告が来たんです。

や:「ごめーん!言うの忘れてた!もう曲が流れてる〜!!」

というわけで
番組を確認してみたら

ほんとだ、流れてる〜〜〜!!

しかもアーティスト名が
「MARIA」になってる〜〜〜!!


「ありま」→「アリマ」→「マリア」→「MARIA」

へと変遷していったというのが通説みたいです。

 

つづく