#TDLef23_vol.10:アドベンチャー

#TDLef23_vol.9 からのつづき

日本語カタカナで

「アドベンチャー」

って
検索すると

・冒険(adventure)
・冒険者(adventurer)

という
二つの「アドベンチャー」が
出てくるんですけど

AI翻訳さんの発音も
語尾の長さが
若干違ってる感じするので

一応、英語では別の言葉として
使い分けられてるもやう。

つまり

「デジモンアドベンチャー」

「アドベンチャー」

・冒険(adventure)

であって

「冒険者たちの戦い」

英語訳するならば

「Battle of Adventurers」

になるはず、、、と思って
調べたら

すでになってました笑。

Digimon Tamers: Battle of Adventurers
(英語版wikipedia)

って
何が言いたいかって

ワタクシ自身含め、先祖代々(笑)、

冒険者
adventurer

の多い家系なのかも・・・‼️

もとい。

そもそも、#TDLef23 は
エフコラ25周年とディズニー40周年の
コラボ企画なんですけど

そのディナーショーが開催されていたのは
ディズニーランドの中の
アドベンチャーランドだったなぁ・・・と
しみじみしていたら

そういえばデジモンの時も
デジモンアドベンチャーだったり
「冒険者たちの戦い」も
文字通り冒険もので

ことごとく
アドベンチャー
ってのが絡んでるなぁ・・・と

記憶があれこれ蘇ってきて
さらにしみじみしてみた次第です。

はい。

突然、サミません。

しみじみついでに、、、と言っては
なんなんですが

ご存知、ワタクシの初恋の君、
「ノッポさん」ですね。

そう、、、一昨年前にとうとう
天国行きのバスに乗られました。

ま、訃報を知ったのは
昨年の話ですけど。

ま、昨年も一昨年も
ことごとく
ワタクシの友人知人が
星になってしまった関係で

時系列があちこちして
ブログコメントが
追っ付かなかったってのも
あったんですが

特に「ノッポさん」の件に関しては
ご本人のご意向もあったとのことで

落ち着いた頃にさりげなく
その話に触れたいなと思いまして。

ええ、この #TDLef23 の最後の項で
そのタイミングを頂いたってことで。

そう、奇しくも
こういった文章を書く作業でもって
悲しみを紛らわすことができる、、、

、、、って大義名分も
あるんですけど、、ね。

はい、あくまでも
慌てず騒がず悲しまずに

ごくごく自然に
「死」というものを
受け止めればいいんですよね?

、、、ね?、、、ノッポさん。

 

もとい。

ディズニーオーディションに
受かってから
2ヶ月に及ぶ怒涛のリハーサルや
関連ショーの研修で
えらい大変な
日々だったんですけどね。

ー 略 ー

ショーが始まって
半年ぐらい
経った頃でしょうか。

いつものように
ショーの合間に控え室で
くつろいでいたんですね。

すると突然、センターランド
(ショーを取り仕切っている事務所)
のディレクター(当時)のM氏が
入ってこられたんです。

M氏はリハーサルの時にも
我々新参者の緊張を解きほぐすために
業界の色々なお話を
ふってくださったりして
場を和ませてくれてたんですけど

その時にやりとりした
「初恋の人がノッポさん」という
ワタクシのどーでもいい話(笑)を
覚えていてくれたらしく

その日、たまたま別の現場で
「トーキングドラム」を
演奏する仕事があったとのことで
それを持って
楽屋見舞いにきてくれた
というわけなんです。

というのも、M氏は元ドラマーで
その昔「できるかな」の中に登場する

(ノッポさんの横でぐほぐほ言っている)
ゴンタくんの声

(=これが実はトーキングドラムの音)


担当されていたとのことで。

はい。

M氏が目の前で
トーキングドラムを
かき鳴らし始めた時は
かなりの衝撃でした。

‼️

ええ、そう。

ワタクシのかつてのライバルだった(笑)
アイツ(=ゴンタくん)
の声、そのものでっっっ‼️

…‼️

 

ってことで

ノッポさん
こそ
ワタクシに多大なる影響を与えた
アドベンチャーワールドのパイオニアだった!!

ってオチで
一旦締めたいと思います。

ご清聴
ありがとうございました。

ひとまず

 

ひーちゃん, forever…

heath & sammy – てっちゃんスタジオ@白金 Rec.にて – 1998年4月6日

HEATHさん。

この写真は、「heath」さん名義(ソロ)の
アルバムレコーディングに参加させて頂いた時のものです。


「HEATH」という表記は X JAPAN のときに、
「heath」はソロ活動のときに、っていう風に
大文字と小文字を使い分けていたそうです。
普段は「ひーちゃん」って呼ばれてました。

そう、時期的にはちょうど
「Maria」の露出が一旦落ち着いて
エフコラのデビューが
決まったぐらいの頃ですかね。

 

はい、まさにこの頃です。

左からいしだ壱成さん、Sammy、アフロさん(撮影 by マチダさん)〜THE BIG BAND!!ライブ打ち上げ@新宿LIQUIDROOM – 1998年4月9日


LIQUIDROOMが恵比寿ではなく新宿歌舞伎町にあった頃に
THE BIG BAND!!のドラムのアフロさんとベースのマチダさんが
エフコラの2ndシングルのレコーディングに参加予定ということで
Sammyさんが
LIQUIDROOMにご挨拶に行った時の写真ですね。

 

はい、そうなんです。

リキッドルームの新宿時代には
「Bonnie Pink」さんや
「ミッチー(及川光博 氏)」さんなどの
ライブイベント(サポート業務)で
よくお世話になっておりました。

heathさんとは
以前、ここでもご紹介したことのある
青山骨董通りの隠れ家サロン的な
「Ojas」というお店・・・


*「Ojas」→「Sammy × 窪田晴男」的な。」参照。

 

・・・の常連だった(笑)、

「てっちゃん」
(=音楽プロデューサーの桜井鉄太郎 氏)

を介して
ご縁があったわけなんです。

*Rec.前その1:左からひーちゃん、サミー、てっちゃん。(てっちゃんスタジオ@白金)

ちなみに「てっちゃん」さんは、先述の
*「Ojas」→「Sammy × 窪田晴男」的な。」
中でも触れている、ペニシリン
の前座バンド「ツベルクリン」で
ブルースハープを吹いておられましたよっっっ〜!!

 

当時、スタジオでもライブでも
ミュージシャン同士の初対面の時って
音楽の話はあえてしないという
暗黙のルールがあったのか・・・どうかは
分かりませんが

「heath」さんとの時も
そんな感じで

まずは軽くご挨拶をした後
それぞれの「名前」から
話を広げていくって
パターンだったと思います。

お互いに
「なんでヒースさんなんですか?」
「どうしてサミーさんなんですか?」

ってところから
始まって

「実は本名が、、、」って
展開になって

ってことは、二人とも
ひーちゃん なんですねっっっ‼️

、、、ってなところに着地した時
なんだかキュンとしました。

*Rec.前その2:左からひーちゃん、ひーちゃん、てっちゃん。(てっちゃんスタジオ@白金)


Rec.前その1、その2ともに、
写真のお顔がほぼ一緒のheathさん。
ブレない姿勢、、、さ、さすがです。

ちなみに、「ひーちゃん」の
この小文字と大文字の使い分け文化は

同じく X JAPAN の
「hide さん」の影響だったそうですが

このレコーディングのすぐ後
「hide さん」の訃報が飛び込んできたりして、、、

ー 略 ー

、、、「ひーちゃん」とはそれっきりに
なってしまいましたが。

 

 

 

 

ところで私は「hide さん」 とも
実はこの「Ojas」で出会ってるんですよね。

 

 

 

 

 

というのも、
私が恵比寿3丁目の交差点で
ひき逃げされた直後も
懲りずにライブを続行して

例の「座椅子ファルセット」が
完成したお店こそ
この「Ojas」だったわけなんです。

そして「hide さん」は
偶然にもこの日のライブに
「Ojas」に遊びに来ており、、、

…‼️

そう、つ、つまり、
「hide さん」は、
ワタクシの、あの、
「奇跡の瞬間」

に居合わせた

超、超、超、貴重な人物だったと
いうことになります。


後日談ですけど、
ジャニスとジミヘン好きのhideさんが
この日のライブに遊びに来られていたのは
単なる偶然ではなかったみたいです。

今頃「ひーちゃん」は
「hide さん」と出会えてるのかな。
一緒に音出したりしてるかな。

 

 

 

 



*諸事情でこの時のアルバムには入らなかった「Mind」という曲の歌詞です。
ご本人が最後まで歌詞の内容を迷っておられたみたいだったので、選曲の時に苦渋の決断をされたのではないかと。
妥協なき姿勢、、、やはり、さすがですね。

 

 

 

 

 

#TDLef23_vol.9:トライしちゃいなよ

#TDLef23_vol.8 からのつづき

はい、明けちゃいましたが
いよいよシリーズの
クライマックスですよ〜っ!

はい。

そんなこんなで
アニメ業界に足をぶっ込みつつも
通常業務とのバランスをとりながら
悪戦苦闘していたある日のこと。

とある音モダチの音モダチから
突然、連絡がありまして。

そう、なんと、


東京ディズニーランド


の中の

アドベンチャーランド

の中の

ポリネシアンテラスレストラン

夜な夜な開催される


ディナーショー


シンガーオーディション

受けてみないかという
お誘いが・・・‼️

えっ!?
サミーさんがディズニーランド?

…‼️

ええ、正直ワタクシも
ビビりましたよ。

だって

ディズニーランド
と言えば

あの世界最大級の
夢の国ワンダーランドですよねっ?!

ほんでもって
TDL(東京ディズニーランド)ってのは
その東京版、、、
(ま、東京にはないけど^^;…)
、、、ってなわけで

そんな
ワクワク感満載な場所で
歌わせていただくなんて、、、

 

 

 

 

mmm

・・・誰? 

世界のミッキーだよ?

なんか違う・・ 

いや、オメエがゆーなや

ふんがっふっふ

 

、、、めっそーもない
っつーて

やっぱ
腰が引けるじゃないですか。

だから
当初はお断りしようかなと
思ってたんです。

・・・‼️

そしたら再び「あの声」が
聞こえてきたんで・・・す・・・よ!!

 

 

ユーとりあえず
トライしちゃいなよ

・・・って。

そう、つまり、

「フリーランス」
生きてくってのは
こーゆーことなんどすって。

 

え?
どーゆーこと?


そーゆーことだよ!!


太田と上田 #13~#15(Sammyさん出演回)」
10周年記念でSammy Channel にて公開配信中〜!!
太田さんと上田さんの上記掛け合いをチェキら⭐︎


あーっ、それもこれも
伏線だったんですね〜?!


なる・・・そしてそして
ロング・グッドバイの10周年に繋がる・・・w

 

むふ。

早い話が、今も昔も
この世知辛〜い男社会な音楽業界で
「女性シンガー」として清廉潔白に
生きていくからには

とりあえず腹括って
来るもの拒まずに
未知の世界でもなんでも
果敢に飛び込んでいくしかないって
ことだったわけなんです。

そうじゃ!腹をかっさらいて・・・!!
(*サミ子のひぃひぃひぃじぃ「有馬善左衛門 こと 藤原高堅」)

いや、腹をくくってですから〜〜〜!!
(*サミ子のひぃひぃじぃ「有馬友助 こと 藤原高正」)

野蛮な行いはやめましょうね〜!
(*サミ子のひぃじぃ「有馬寅太 こと 藤原高次」)

イエ〜ス!!←ロス生まれw
(*サミ子のじぃ「有馬忍」)


ユー には
ディズニー本拠地である
カリフォルニアの血が
混ざっとるんじゃ〜〜〜!!


Sammyのうばじゅ便〜薩摩有馬 VS 京都角倉《デジャ部》参照。

 

….あ、謎の声の主って
Sammyさんのおじいさまだったんですね?

ボ、ボクはてっきり・・・

 

はい、誤解を呼ぶような
言い回しをしてサミません。

確信犯かい・・・

 

うっきーーーっ!!

なんせ
第1次大戦と第2次大戦
という
その規模や時代は違えども

ロスで生まれて
所謂、戦争ってのをきっかけに
日本に帰国して、、、とかって

我らが忍お爺様が
さる「時の人」と
色々被ってたもので。


ちなみに善左衛門さまと友助さまは
西南戦争に思いっきり参加してらっしゃったので

現在、鹿児島市の南州神社に眠っておられますが
Sammyさんのヒィお爺様である寅太さまは
善左衛門さまや友助さまたちの生き方を尊重しつつも
ジョン万次郎さんや吉田松陰さんらの影響もあってか
その後アメリカへ渡ることになるわけなんですよね。

そっか、こうして、
冒険者たちの家系が繋がっていくわけですね。

というわけで
オーディションを受けて

ー略ー

合格したわけなんです。

 

 

 

んが、実は合格してからが
大変だったんです。

・・・‼️

 

つづく

喪春2024

Sammy (歌手)

今年もよろしくお願いします

2024年 元旦
Sammy

 

諸事情につき
新年のご挨拶は
控えさせていただきますが
今年もよろしくお願いします

2024年元旦 Sammy

P.S. 宇都宮の炎のベーシスト、
>>>片野篤さまへ〜〜〜!!

20年以上前に頂いた(お借りしたw)
サティの譜面のおかげサミで

例のサティ曲をやっと形にすることが
出来ましたよぉぉぉ〜〜〜!!!

ま、もちろん、
細切れに弾いた音を録って声を重ねて

機械でトリートメントしてるので
目の前でちゃんとした演奏をご披露出来るのは
また何年か先になりそうですけど、、、。


とりいそぎ、サミーがすこーしだけ
成長したってことで〜〜〜(笑)!!
by Sammy