#TDLef23_vol.6:「1998年のしし座流星群」からの→「星」

#TDLef23_vol.5 からのつづき

はい。

そんなこんなで
デビューしちゃった
エフコラなのですが

まずは、もう一人の
エフコラメンバーでもある
フジパ作家のこのお方をご紹介‼️

山﨑 耀
(旧:山﨑利明)氏‼️


わ〜っ、>>山﨑さーんっ!!!
おひサミぶりでぇーーーっっっす!


うぃ〜っす、何気に
ココには初登場っすね。
ってか、なぜにくまモン?w


なんか雰囲気で…www

 

もといw。

デジモン「トモダチの海」の
作曲者でもある山﨑さん。

和田くんの三回忌追悼ライブの時に
会場にいらっしゃってて

終演後にちらりと
ご挨拶して以来ですかね。

 


って、あれからもう5年なんですね、、、

そういえば
エフコラ15周年の時も

山﨑さんと偶然に
ハワイで遭遇したんでしたっけ笑。

 


そうそう!!
びっくりしたよね〜‼️


山﨑さんはご家族と休暇でいらしてて
めっさバブリーなお時間を過ごされてて‼️
ワタクシは安いコンドミニアムに滞在しながら
ひとりで地味に教材のお仕事をしておりました、まる

 


なんか棘がありますねぇ笑。
ってゆーか、あの時ちゃんと
「肉」奢ったじゃないですかーっ?!

 

《*証拠写真‼️》

アラ・モアナ近くのOutback Steakhouseで、山﨑さんに”お肉”を奢ってもらっているサミーの図。

あっwww。
その節はゴチでした〜‼️


ってか、アルコール注文する時、店員さんから
パスポートの提示を求められてたよね〜?!
若見えにも程がある・・・

ぐひっ☆

 


ま、なんにせよ、

あのハワイでの奇跡遭遇がなければ

15周年企画の記念配信の時の

「エフコラ的な。」

、、、ってページも
存在してなかったわけで。


ほんとほんと。


面白きかな、人生‼️


ま、そんなわけで
今回はディズニーランド40周年と
重なりまして

ハワイ繋がりってことで
コラボさせていただいております。


そっか!!前にディズニーランドの
ハワイアンのステージで歌ってたんだっけ?


あ、厳密にいうとポリネシアンですけどねw

ほんと人生って
繋がってますね、、、

それはそうと
エフコラがデビューした当時って

周囲
エフコラ
への 期待度

半端なかった んですってね。


そうそう!


というのも
1998年頃 ってのは

すでに世の中には
”CD氷河期”突入の兆しが
見え隠れしておりまして。

そう、POPS業界のど偉い人たちが
それまでコツコツ構築してきた

「安泰システム」

、、、みたいなものが

いよいよ
まかり通らなくなるという時代への
いわば
「幕開け」

を迎えていた‼️

 

、、、というわけですね


そう、そんな難しい時期にわざわざ
メジャーデビューなんかするわけだから
それなりの戦略と準備が必要ってなわけで!
水面下で色々動いてたっちゅーわけですよ。

 


あー、それでっ‼️

私に隠れてコソコソと皆サミで
内緒話してたわけですね〜‼️


またそんな人聞きの悪い… ^^;))💦

 

つまりっ‼️

・フジパ(山﨑さんの所属する出版会社)
・LDC(エフコラの所属するレコード会社)
・PMW(サミーの所属するプロダクション)

という
関連3社の方々が集まって
「マル秘戦略会議」なるものが日々
繰り広げられていたわけですよね?

ワタシ抜きで、、、


・・・ぐほっ

  

ま、そんなおかげサミで
あれよあれよという間に
デビューシングル「Today」が
オリコンの左ページに登場して

TSUTAYAでのCDレンタル数が
シングル部門で
全国第1位
になりまして、、、

 


この流れって、あの時代では
めちゃくちゃすごいことだったらしいんだ
けど
一説によると、TSUTAYAがCDレンタル業を開始したせいで
CDが売れなくなったって噂もあるんだよね。

 


 


ま、何はともあれ、

1stの評判が良かったがために
2nd曲へのハードルが
どんどん高くなっていった
ってわけですね。


そう、我々のストックしていた2nd候補曲たちが
3社会議でことごとく却下されてたわけです‼️


な〜るほど・ざ・ワールド‼️

 


というわけで
出来上がった
渾身の1曲がこれ‼️


ef collage

(c/w: HAPPY YOUR SPECIAL DAY)
作詞:有馬寿美 作曲:山﨑利明(山﨑耀)
(*発売日:1998年11月28日)

 

レレレ〜!!
これって11月発売のCDジャケットですよね?!
なんか季節感がレレレのレなんですけど・・・?


はい、これは夏の終わり頃に
撮影されたものらしいんですよ。

 

 

はい、そうなんですよ!

この頃って、PVやアー写で
「風」をなびかせるのが
流行ってたみたいで、、、

#TDLef23イメージ画像「風」その1

 


呼んでませ〜ん!!

 

そう、実は
「星」の撮影スタッフの
皆サミの計らいで

ワタクシのスカートが
いい感じで
風に靡くようにと

この「風アーティスト」さんが
プロモで使用されていたものと
全く同じタイプの送風機
レンタルしてきてくれまして。

#TDLef23イメージ画像「風」その2

こーんなことに❤️


嘘デス。
実際には
こんな感じデスw


ポラロイド~「星」撮影のもやう

 

ってか、この撮影の次の日
しっかり風邪ひきましたけどね。

じゅるっ・・・

 

 Interval


*エフコラ2ndシングル〜 星 / ef collage (1998) プロモーションビデオ

 

”泣くなよ”って言われて
抱きしめられたら

涙が 溢れ尽くして
なくなること 知ってたの?

私の心を 全て
映し出す 鏡を

どこで手に入れたの?って
聞きたかった

子供の頃の 淡い記憶は
好きなように 色付けられるけど

君が残した 白い時間は
塗り替えられない

君がいなくて 泣けないよ
抱きしめられたいよ

私の声 届かない
震えてる 空の上まで
届かないよ

氷が 解ける音は
レコードが 終わる音に

少し 似てるから
寂しくて 好きじゃない

何にも 聞きたくない
何にも 見たくない

どんどん嫌いなこと
増えてく

子供の頃に 教えられたよ
人はみんな 星になるんだって

美しすぎる 御伽話は
切なく 響くよ

君がいなくて 息ができない
思いきり 泣きたいよ

私の声 届くなら
滲んでる 空の上で
光ってみせてよ

朝の光は いつもと同じで
私を包むけど

君がいなくて 泣けないよ
抱きしめられたいよ

私の声 届かない
震えてる 空の上まで
届かないよ

あ、どもども、ご視聴あざす。

って、このプロモ
えらい昭和を感じるって
当時話題になりましたけどね。

…🎶

 


さて、ここで特筆することが
もう一つ。

実はこの「星」発売日である

「1998年11月18日」

というのが

偶然にも、

「しし座流星群」

到来する‼️

と言われてた日と
ピッタリ重なってたので

「星」(というタイトル曲)

プロモーションとして
ちょうどいいわーってことになって

オールナイトニッポンの生中継で
「しし座流星群」をバックに
エフコラの「星」が流れる、、、

(*もしくは実際サミーがカラオケをバックに歌う

、、、という

(ラジオなのに)
伝わりづらい謎の企画が
持ち上がっていたんですよね。

 

しかも
それは行き当たりばったりの
生中継企画なので

”天気次第でなくなる可能性もある”
、、、という、

(ラジオだけに)
ゆる〜い感じで
こちら側に伝えられて

事前のリハも
打ち合わせもなにもなく

放送当日の夕方ごろに

(おそらく都心から車で2時間半ぐらいの…?)
中継場所

(だいたい夜中0時ぐらいの)
集合時間

知らされるという、、、

 

ちょちょちょ?!

オールナイトニッポンっていったら
あの無謀代表のラジオ番組でしょ?

(ま、受験の時お世話になりましたけどwww)

場合によっては
夜明けの5時
歌うことになるかもって
なにソレ?、、、みたいな?

ってなわけで

当時この「星」プロモーションで
全国のテレビ、ラジオ番組のゲストに
呼ばれては歌うといった
ハードな旅仕事を繰り返していたワタクシ、、、。

実際、ほんの数日前まで
九州に行ってたりなんだりで
かなりへたってたわけなんです。

しかも、その当日も
朝早くからえらい鬼スケ
へとへとだったので

ロケに向かう前に
家に一旦戻って

マネージャーさんが
迎えに来るまで

仮眠 をしとこうと
寝に入ったその時、、、‼️

、、、その時‼️

 


未だかつて
経験したことのない

腹痛
、、、がぁぁぁ‼️‼️‼️


(Sammyの徒然記No.4『救急車』) 参照。

 

そ、、、それはまさに、、、

この世の終わりともいうべき、、、

ってか、これこそ1999の予兆、、、

まさか、しし座流星群ってのも
そのサインだったのか、、、


 

               

 

はい、、、

気がついたら
病室だったんですよね。

ここはダレ?
ワタシはドコ?

病室の真っ白い天井を
眺めながら

頭の中も
真っ白になっていた
サミーだったのでした、まる


#TDLef23《第一部》完
《第二部》へつづく

谷村新司さん。

 


あれは20年前以上前だったかな。

実はほんの一瞬だけ、谷村さんと
お仕事をご一緒させていただいたことが
あるんですよね。

といっても「歌のお仕事で〜っ!!」
とかってわけではないんですけど。

…ん?って感じですよね。

そう、、、今ちょうど #TDLef23 シリーズでも
話題にしているPMW(旧所属事務所)を抜けて
私がフリーランスで活動を始めた頃のお話です。

 

その頃の私は諸々の制限から解放されて
自由に音楽活動ができるようになった反動で
喉をガンガンに酷使してしまっていたせいか
気がつけばポリープの手術を繰り返すという
歌手としてヤバい事態に陥っていたんですよね。

なので一旦歌うのをお休みしつつ
ボイスエイチという作家事務所で
雑誌のイラスト描きや編集作業の
お手伝いをしていたんです。


*ボイスエイチに関しては「河野さん。」をご参照くだサミ。

河野さん。

ある時、ボイスエイチと
メディアファクトリーの共同企画で
制作されることになった旅本、、、

、、、ええ、そう、
谷村新司さんが全国各地を巡って厳選した
名店名所を紹介するという、、、その名も、


谷村新司のふらり流〜粋づくし「旅」手引き」‼️

出版社:メディアファクトリー
発売日:2001/4/1

 

はい。

つまり私は、この「旅本」の編集のお仕事で
谷村さんとご縁があったというわけなんです。

 

初めて谷村さんに遭遇したのは
「河野さん。」のアシスタントとして
浅草方面に取材同行した時かな。

今でもよく覚えてますが
最初私はガッチガッチに緊張していて
全くお二方の会話の中に入れず

ただただひたすら
相槌を打つだけだったんですが

おそらくそんな私に気を遣ってか
休憩時になんと谷村さんの方から
話しかけてきてくれたんですよね。

 

「この業界は長いんですか?」

って。

 

私:「あ、、、実は私は本業はボーカリストで、、、」

谷:「おぉ、やっぱり!そんな感じしたんですよ〜!!」

 

、、、ってな感じで
話が展開したおかげで

休憩後インタビュー再開の際、私もすんなり
会話に参加できるようになったわけなんです。

そしてその後の会話でも
音楽の話題をふってくれたり
センスある冗談で
笑わせてくれたりして

流石、常に
エンターティナーなんだなって
えらく感動した覚えがあります。

しかも私のポリープの件も
心配してくださって

その日の夜に
マネージャーさんを通じて
「喉にいい飲み物リスト」と
その「マル秘レシピ集」を
わざわざメールしてくださったんですよね。


その時の谷村さん直伝のレシピは
今でも重宝して活用させて頂いてますよ〜!!

 

あと、私が
京都の旅に同行できなかった時は
舞妓さん御用達のお店で
「簪」をお土産に買ってきてくれた‼️
、、、なんてこともありました。

当時私は
ロングヘアだったのですが
キューティクルなどとは無縁の
ボサボサ系で
「伸ばしている」というよりも
「伸びてる、、、」という
残念な状態だったので

おそらく
「そのビジュアルなんとかしましょうか♪」的な
意味も込められていたと思います。

実際に
「あなたは髪をランダムにアップにして
奇抜な和装で勝負してみたらどう?」

とかって提案してくれたのも
谷村さんなんですよね。

奇抜な和装、、、。

そう、何を隠そう、
今日の「東京サミコ」は
この時の谷村さんのアドバイスがきっかけで
キャラが確立したといっても
過言ではないんですよね。

今年の1月に
幸宏さんが亡くなられた時にも
ご紹介した
HASYMO(YMO)主催コンテストに
出品した動画の中でも
その「谷村簪」をさしてますので
(とても分かりにくいですが)
ご興味のある方はどうぞご確認を。

*うばじゅ便記事 はコチラ。

幸宏さんに哀悼の意を込めて
〜東京サミコ “The City of Light”02 HASYMO
Music Video Contest 出品作品

 

あ、そっか、、、そういえば何気に
HASYMOも
トリオバンドでしたね。

そう、実は谷村さんと
「アリス」の話題になった流れで

「トリオバンドってなんかいいよね〜!!」
って話で
盛り上がったことがあるんです。

ちょうど私も
pussYbone を結成しようと
思ってた頃だったので。

トリオ形態って
見るにせよ演るにせよ
なんかバランスが良いよね、、、的な。


*pussYboneの時もそういった理由で
3人ってのをキープしてたような。

 

ま、ライブハウスの対バンで
後で仲良くなるのは
大体トリオバンドだよねって。

あ、もちろん私の場合は
単に「3」という数字が
好きだからってのもありますけどね。

 


3角形とか3拍子の曲とかって好きだし、
サミー(33)って名前もそうだし、、、

 

って
話がそれてしまいましたが。


とにもかくにも
谷村さんはとても優しくて
チャーミングで偉大なお方でした。

ー 謹んでご冥福をお祈り申し上げます ー

Sammyのうばじゅ便「谷村新司さん。」


谷村さん、また、ふらり、何処かでお会いしましょうね!

Sammy